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「馬」という文字を使用した代表的な7つの駅名の由来についての紹介

馬って?

1.はじめに

日本には、多くの駅名に「馬」という文字が含まれています。このような駅名は、その地域の歴史や文化、風習などが反映されていることが多いです。
そこで、本記事では、「馬」という文字を使用した駅名の由来について、代表的な7つの駅を取り上げて解説していきます。

それぞれの駅名には、興味深い由来があり、地域の歴史や文化、風習を知ることができます。
馬の名前がついた駅名は、日本の歴史や文化、風習を知るきっかけとしても興味深いものとなっています。

2.【馬】を含む駅名って

2.1 馬喰町駅(東京):ばくろ

馬喰町

「馬喰町」という駅名は、「博労」という言葉に由来しています。
博労とは、牛馬の良否を見分けることに巧みな人、牛馬の病気を治す人、牛馬の売買・仲介を業とする人のことを指します。

江戸時代には、この地に馬場があり、幕府博労頭の高木源兵衛と富田半七が管理していました。
その後、高木家が名主となり、「博労町」と呼ばれるようになりました。

そして、この町は「馬喰町」と改名され、その名前が駅名となったのです。
なお、「博労」は、「伯楽(はくらく)」の音変化です。
また、馬だけを専門に扱う人を「馬博労」といいます。

2.2 馬車道駅(神奈川):ばしゃみち

馬車道駅

「馬車道駅」の由来は、江戸幕府がアメリカからの開国要求を受け入れたことで、横浜開港が始まりました。
現在の関内周辺は外国人の居留地となり、外国人たちは馬車を利用して街を移動しました。
このため、長さ約1kmの道路が拡張され、道路脇には牛馬のための給水場が整備されました。
人々は、馬車が通り過ぎる様子に驚き、「異人馬車」と呼ぶようになりました。

その後、この周辺が馬車が通る道として知られるようになり、道路は「馬車道」と呼ばれるようになりました。この道路沿いにある駅が「馬車道駅」と名付けられたのです。

2.3 高田馬場駅(東京)

高田馬場

高田馬場駅は、明治43年に開業した駅です。
地名の「馬場」には、かつてこの地域にあった徳川幕府の馬術訓練場が由来しているとされています。

一方、「高田」の由来には2つの説があります。

1つは、越後高田藩主の松平忠輝の生母である高田殿(茶阿局(ちゃあのつぼね))が、この地域にある遊覧地(景色のよい遠望を楽しむために庭園を開いた所)を開いたことから「高田」と名付けられ、それが「高田馬場」となったとする説。

もう1つは、この地域が高台であったことから「高田」と呼ばれるようになり、「高田馬場」と命名されたとする説です。

これらの説が重なって、「高田馬場」という地名が生まれたとされています。

2.4 白馬駅(長野)

白馬駅

「白馬駅」の由来は、長野県にある白馬岳にちなんで名付けられたものです。

白馬岳の白馬とは、春に雪が溶け始めると、岩肌と積雪が織りなす山腹の模様が、代掻きをする馬のように見えたことから「代掻き(しろかき)馬」(代馬(しろうま))が転じて白馬になったといわれています。

代掻き」とは、田んぼに水を入れて土を砕いて均平にする農作業のことです。

昭和7年には「信濃四ツ谷駅」として開業しましたが、昭和43年に現在の「白馬駅」に改称されました。
また、この駅がある白馬村も、昭和31年に白馬岳から名付けられたものです。

2.5 馬込沢駅(千葉):まごめざわ

馬込沢駅

「馬込沢駅」の由来は、江戸時代に行われていた馬の捕獲に関連しています。

当時、年に1度広大な牧場に放された馬を野生化させ、改めて捕獲するという風習がありました。
この捕獲に使われた木製の門が「馬込」と呼ばれ、町の要所や町境などに警衛のために設置されました。
このことが、町の名前の由来とされています。

大正12年には「法典駅」として開設されましたが、昭和13年に再びこの地域の歴史的背景に因んで「馬込沢駅」と改称されました。

2.6 練馬駅(東京)

練馬駅

「練馬駅」の由来には諸説あるようです。
一つは、
馬の調教を「ねる」といい、馬の訓練場があったことから「ねり馬」となった説です。

また、関東ローム層の赤土を練るための場所があったことから「練り場」となったという説もあります。

そして、石神井川流域の低地の奥まった(根の)ところに多くの沼があり、それらを「根沼」と言っていた説などそのバリエーションは多彩です。

どの説が正しいかは分かりませんが、このように様々な説が存在することから、練馬駅の由来には謎が残されています。

2.7 洗馬駅(長野):せば

洗馬駅

洗馬駅は、明治42年に中央東線の塩尻駅〜奈良井駅間延伸に伴って開業した駅で、駅周辺は8世紀頃から洗馬荘と呼ばれ、江戸時代には洗馬宿として繁栄した地域です。

洗馬宿は中山道六十九次のうち日本橋から31番目の宿場町として賑わっていました。

洗馬という地名は、狭間という地形からきていると考えられます。
治承4年に木曾義仲が馬を洗ったという説もありますが、実際には平安時代中期の『小右記』に洗馬の牧場の牧司が駒や牛を納めた記録があるため、古くから洗馬という地名が存在していたことがわかっています。

3.おわりに

駅

本記事では、代表的な7つの駅名について解説しました。

それぞれの駅名には、地域の歴史や文化、風習が反映されており、馬が使われたり馬に関連する出来事があったりすることが多いです。

このような駅名は、地域の特色を知ることができるだけでなく、日本の歴史や文化、風習を知るきっかけとしても興味深いものとなっています。
これらの駅名を訪れることで、過去の日本を垣間見ることができるかもしれません。

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