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「サラブレッドの三大始祖」ゴドルフィンアラビアンの馬生と関連する作品

競馬

1.はじめに

本記事では「サラブレッドの三大始祖」とされる競走馬の一頭であるゴドルフィンアラビアンに焦点を当て、その馬生と関連する作品について解説します。
ゴドルフィンアラビアンは、ダーレーアラビアン、バイアリータークと並ぶ偉大な馬の一つです。

特に、女流作家マーゲライト・ヘンリー女史によって描かれた馬の伝記「名馬風の王」は、ゴドルフィンアラビアンの馬生を詳細に綴った作品として知られています。

さらに、「名馬風の王」を題材にした宮本輝氏の小説「優駿」についても紹介します。

また、ゴドルフィンアラビアンを称える競走馬管理団体「ゴドルフィン」についても触れます。

2.ゴドルフィンアラビアンの馬生

2.1 ゴドルフィンアラビアンについて

ゴドルフィンアラビアンと猫のグリマルキン
ゴドルフィンアラビアンと猫のグリマルキン

ゴドルフィンアラビアンは、マッチェム系と呼ばれる父系の始祖で、1724年にイエメンで生まれ、仏国王ルイ15世に対する献上品としてチュニジアに移動したとされます。
その後、英国に移動され種牡馬生活を開始したとされ、暫くはアテ馬として使役していたとされています。

マッチェム系は、種牡馬としての期待はされていませんでしたが、優れた競走馬や種牡馬が相次いで産まれ、特にコンダクターがトランペッターを世に出すなど、その流れを作りました。

日本でも、持ち込まれた月友が大成功し、日本ダービー馬を3頭(オートキツ、カイソウ、ミハルオー)、オークス(ミツマサ)や桜花賞(ツキカワ)を勝った名牝系の祖となる産駒を出すなど、大きな足跡を残しました。

現在、その父系は途絶えていますが、母系に入ってもなお影響力を残しています。

日本でも、サクラユタカオーを出したスターロッチの母は月友の産駒であり、クライムカイザー以降、マンノウォー系からタイトルホースが途絶えていましたが、2004年の高松宮記念でサニングデールが勝ち、再び脚光を浴びました。

ゴドルフィンアラビアンの血統図

※「ゴドルフィンアラビアン」の意味は、「ゴドルフィン伯爵が所有するアラビア馬」という意味

2.2 ゴドルフィンアラビアンと猫

猫のグリマルキン

2.1で記載の絵には、ゴドルフィンアラビアンの親友、グリマルキンという名の猫が絵に描かれています。
ゴドルフィンアラビアンは気性が荒い馬として知られていましたが、グリマルキンには心を開いていたと言われています。
ゴドルフィンアラビアンの死を悲しんだグリマルキンも、その後すぐに亡くなったと言われています。

3.「名馬風の王」

3.1 ゴドルフィンアラビアンと「名馬風の王」

サラブレッド 三大始祖の一頭、遺伝的にはサラブレッド最大の創始者であるゴドルフィンアラビアン。

伝説的な生涯が伝えられており、その馬生は、伝記として1948年に米国の女流作家マーゲライト・ヘンリー女史“King of the Wind(名馬風の王)”を出版していいます。

3.2 「名馬風の王」のあらすじ

「名馬風の王」の本

モロッコの王様の所有馬である牝馬が、1724年1頭のアラビア馬を産み、産んですぐに母親である牝馬は死にました。
産まれた仔馬は、王が所有する厩舎で働く口がきけないアクバという名前の少年馬丁が世話をしました。
アクバは、密かにその仔馬を“シャム”と名をつけまいたが、アクバは口がきけなっかたので、厩舎で働く者は誰も知られませんでした。

シャムはずば抜けて速かったのですが、シャムはアグバ以外の人には心を開こうとせず、アグバも口がきけなかったため誰にもにシャムの速さを伝えることができませんでした。

ある日、モロッコの王様は「モロッコにおける政治に干渉しない」という条件のもと、フランスのルイ15世に優れたアラビア馬7頭を贈りました。
その中にはシャムも含まれており、アクバも同行してフランスに向かいました。
しかし、長い航海の間に馬たちは十分な餌を摂ることができず、疲労し、フランスに到着した頃には非常にやせ細っていました。
ルイ15世は痩せている馬たちを気に入らず、彼らを王宮に留まらせることもせず、最終的にはそれぞれがヨーロッパの各地に散ってしまいました。
シャムについては、王様は彼を王宮の料理番に馬車馬として使うことにしました。
この料理番は、少年の言うことしか聞かないシャムを気に入ることができず、シャムを転売してしまった。

シャムとアグバは、荷馬車引きや乗馬馬として生活を続けることとなりますが、偶然通りかかったイギリス人のコーク氏によって購入され、彼とともにイギリスに渡りました。
彼らは苦難の生活を送っていましたが、ある日、彼らの姿に興味を持ったゴドルフィン伯爵に引き取られることになります。

伯爵は大事にしていた種牡馬ホブゴブリンと交配させる予定だった牝馬ロクサーナを持っていましたが、シャムが勝手にロクサーナと交配してしまいました。
結果として、ロクサーナはシャムの仔を宿すことになりました。

怒った伯爵はシャムとアグバを追い出しましたが、三年後、シャムとロクサーナの間に生まれた牡馬ラスが驚くべき速さで走ることを目の当たりにした伯爵は、自分の過ちに気づきます。
そして、再びシャムとアグバを引き取り、彼らを大切に育てることを決めました。

シャムはゴドルフィンアラビアンと名付けられ、イギリスサラブレッドの父として大成功を収めました。
彼は幸せな晩年を過ごし、「風の王」として広く称賛されました。
ゴドルフィンアラビアンが29歳で他界した翌日、アグバはモロッコに帰っていきました。

4.「優駿」

4.1 「優駿」と「名馬・風の王」

作家の宮本輝氏は、「小学校5年生の時にこの本を繰り返し読み、自分の「風の王」が書きたくて、「優駿」をを書き上げた」と、「優駿」のあとがきの中で記載してます。

「優駿」の上巻の21頁で
サラブレッドの歴史ってのは三百年くらい前からイギリスで始まったんだ。だけど牡系の血統が続いているのは三頭しかいねェんだ。一頭はダーレー・アラビアン。ダーレってェ人が持ってたアラブっていう意味だよ。二頭目はバイアリ―・ターク。バイアリー大尉の乗用馬だったトルコ馬。三頭目がゴドルフィン・アラビアン。ゴドルフィン伯爵の所有していたアラビア馬だ。
というくだりで始まり、28頁目まで「名馬・風の王」ストーリが語られています

4.2 「優駿」あらすじ

「優駿」の本

北海道の牧場主である渡海千造息子の博正は、ダービー制覇を夢見て名馬を育てていました。
ゴドルフィンの血を引くオラシオンという仔馬が生まれ、その名前はスペイン語で「祈り」を意味します。

一方、和和具工業社長の平八郎は、会社の危機と腹違いの弟・誠の存在に悩んでいました。
誠は腎不全で腎臓移植が必要でした。
平八郎はオラシオンを買い取り、夢を託すことに決めます。

久美子はオラシオンの馬主となり、誠の見舞いに通いました。
オラシオンは博正から離れ、大きな牧場で厳しい調教を受けます。
ケガを負いましたが、奇跡的に回復しました。

平八郎、久美子、誠、渡海父子はそれぞれの夢をオラシオンに託します。
オラシオンはデビュー戦で優勝しますが、久美子の弟、誠は見ることなく亡くなり、平八郎は会社を買収されます。
また、博正の父、千造も胃がんでダービー直前に亡くなってしまいます

そして、ダービー出走。
オラシオンは、後方馬に半馬身ま詰め寄られるが先頭馬でゴール版を駈けます。
ただし、このレース、最後の直線走路で、オラシオンが内側に斜行した件について審議となります。
平八郎、久美子、そして博正は、固唾をのんで見守ります。
審議結果は、入着順位どおりで確定し、オラシオンはダービーで優勝します。

その後、平八郎は久美子と博正と共に新しい牧場を始めることを決意し、彼らの夢はオラシオンによって実現されました。

4.3 「優駿」の経歴

1986年(昭和61年)に新潮社より刊行されるとベストセラーとなり、翌1987年(昭和62年)の第21回吉川英治文学賞を最年少で受賞。また、本作の馬事文化への貢献を評価され、同年に創設されたJRA賞馬事文化賞を贈られています。


1988年に『優駿 ORACIÓN』と題しフジテレビ開局30周年記念作品として映画化されました。

【引用】ウィキペディア「優駿 (小説)」
優駿 (小説) – Wikipedia

5.競走馬管理団体「ゴドルフィン」

「ゴドルフィン」は、ドバイの王族マクトゥーム家が運営する競走馬管理団体で、モハメド殿が中心となって率いています。

この団体は1994年に設立され、サラブレッドの三大始祖であるゴドルフィンアラビアンにちなんで名付けられました。

ゴドルフィンは数々のG1馬を輩出し、現在では世界中で600頭以上の現役馬を所有する巨大組織となっています。

特に日本では、1996年に種牡馬として来たラムタラ(注)が知られています。

ラムタラにニンジンを上げる子供
ラムタラ※アロースタッド(2002年)

(注)ラムタラは、英ダービー、キングジョージⅥ&QEDS、凱旋門賞といった「欧州G1三大レース」を無敗で制覇しました。

6.おわりに

本記事では、ゴドルフィンアラビアンの馬生と関連する作品について解説しました。
マーゲライト・ヘンリー女史の「名馬風の王」と宮本輝氏の「優駿」は、ゴドルフィンアラビアンの魅力を詳細に描いた作品です。
また、ゴドルフィンアラビアンを称える競走馬管理団体「ゴドルフィン」にも触れました。

ゴドルフィンアラビアンは、サラブレッドの三大始祖の一頭として、その存在と功績が広く認知されています。
競馬と文学の世界でゴドルフィンアラビアンの物語は未だに輝き続けており、多くの人々に魅了されています。

なお、「サラブレッドの三大始祖」につきましては、以下の記事にて概要を記載しておりますのでご興味をお持ちいただけましたら合わせてご覧ください。

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